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莞爾・奉文

莞爾・奉文(Kanji・Tomoyuki)

オーダースーツ 大阪

莞爾(Kanji)は、昭和陸軍で満州事変から日華事変勃発まで、主導的立場にあった石原莞爾 閣下(いしわら かんじ)に由来しています。

奉文(Tomoyuki)はマレー攻略戦、フィリピン防衛戦で活躍した山下奉文 将軍(やました ともゆき)から由来しています。

意匠、仕立て、生地の面の上で考え得る、「最高のスーツ」となったと自負しております。

まぎれもなく、「テーラードの世界で今後数十年通用する洗練された意匠」。

「莞爾」(かんじ)

夏用のモデル  オーダースーツ 大阪

夏用のモデル「奉文」の対をなすモデル。

2015SSシーズンよりCorvoの象徴となるべく投入された「旧奉文」を冬用に手直ししたモデル。

軽量の毛芯と卓越された縫製技術で構築的輪郭を保ちながらも細身でありつつも、男性的貫禄がある。

細く腕廻りに噛むアームホール、強く絞られた腰回りからストンと尻廻りまで落ちる型は着用者の体をタイトに包み込む。

特に最高ランクの本バス毛芯、胸から裾まで直線的に落ちたダーツは男性的輪郭の要の胸の高さ、スーツの表情を決める前身を構築する。

細部にも趣向を凝らしテーラードの伝統な技術を感じていただけるモデルである。

 

冬用と銘を打っているが、通年の着用を想定した、万能な使用を想定したモデル。

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「莞爾」の由来となった石原莞爾について

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石原莞爾は、陸軍史上屈指の異端児として知られた。陸軍の各学校では優秀な成績をおさめながらも、型破りな言動で知られ、通り一片の軍人ではなかった。一方で学究肌の人物でもあり、世界の戦史を丹念に研究し、それはいくつかの優れた著作物として結実した。日蓮宗の一派にも傾倒し、これに戦史研究の成果が渾然一体となり、「世界最終戦論」となる。東洋文明の王者たる日本、西洋文明の覇者たるアメリカ、この二カ国が「世界最終戦争」を行って勝者を決め、これによって世界から永遠に戦争はなくなる、という。その軍事思想は少なくない人々を魅了し、熱狂的な信奉者を生む。しかし、歯に衣を着せない言動は敵も多く作り、日華事変に反対、東亜の協調を唱え、太平洋戦争開戦前に陸軍から追われることになってしまう。 石原の特異な人物像とつながる「莞爾」というオリジナルのスタイル。陸軍という「堅い」組織の中を己の道を生きた強かさは、「莞爾」を着るあなたにも自信を与えるだろう。

 

 

 

文;岩井秀一郎 昭和陸軍史の研究家 

第26回山本七平賞奨励賞を受賞

著書に「多田駿伝」「永田鉄山と昭和陸軍」「渡辺錠太郎伝」がある。

 

「奉文」(ともゆき)

オーダースーツ 大阪 冬用モデル

冬用モデルの「莞爾」と対をなすモデル。

「莞爾」との相違は毛芯の使用を最小限に抑えた芯なし仕立て、雨降らしフロントカットを大きく開いたカッタウェイにした点。

昨今の暑い夏を意識し着ていることを忘れさせる軽い着心地、快適性を追求した。 テーラードの基本を押さえているので、ドレスダウンすることなくフォーマルな場でも活用することができる。

またカジュアルにセットアップのように、ノータ イで着ていただいても優雅なモデル。

芯なし仕立てで立体感を維持することは地合わせ、アイロンワークを施した仕立てでなくては、難しい。非常に高度に洗練された縫製技術がなくては実現 不可能な仕立てである。

芯地を最小限に省いたことで、軽量かつ、涼しく、ドレープが美しく出る。シルク混、麻混などの艶のある生地と高相性。

 

まさに夏の装いに最適なモデル。 縫製技術の粋を惜しむことなくつぎ込まれた、非常に贅沢なモデル。

「奉文」の由来の山下奉文将軍について

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開戦劈頭、第25軍司令官としてマレー作戦、シンガポール要塞攻略戦を指揮。陣頭指揮をモットーに、半年はかかると見込まれていた作戦をわずか3カ月で成功させる。日本陸軍の最大の栄誉を得る。大東亜戦争中期は凱旋将軍としては陸軍の主流派との過去の政治的対立によって閑職に近い形で、満州に派遣される。戦争末期には第14軍司令官として敗戦が決定的なフィリピン戦線に赴任。上層部の場当たり的指示によって大損害を被るも、最後まであきらめず持久戦に徹底し終戦まで圧倒的に人数、装備に優れたマッカーサー率いる米軍を比島に引き留める。結果として日本本土進攻を遅らせる。部下思いの性格、頭脳明晰にして、豪放磊落の性格、100kgを超え体型に優れ、部下に信頼が篤かったといわれる。

現代の組織にも通じる、理想の「統率者」を彷彿させる将軍であった。

戦後は部下の犯したとされる罪を背負い、戦犯として処刑される。

遺書には今後の日本の発展には精神主義ではなく科学力への理解、女性の地位向上に期待が書かれていた。

 

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