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大阪店

よくある問答

若い方なら高い服を身に付ける、おしゃれな装いをする、これっていわゆる自己満足なのか?などと疑問に思ったことが少なからずあると思います。
 
 
よくある問答なので、少し退屈かもしれませんがお付き合いください。
 
 
私は以前ブログにも書いた通り、服に無頓着な人間でした。
 
 
18,19歳のとき「なんでスーツに十万も出すのか?量販店のスーツで充分だろ!スーツなんて西洋人の服だろ!俺は日本人だ!」っと公言するようなものが、今はスーツ店を経営しているのだから人生とは何があるのかわかりません。(笑)
 
「いいスーツを買え」とお客様を誘導するようでこの手のブログを書くのを避けてきましたが、今回は私自身勇気を出して書かせていただきます。
 
 
「襤褸を纏えど心は錦」は日本人の清らかさを示すいい言葉です。
 
 
しかし、かつての武士が殿様に対するさい裃をきた、葬儀の際は白装束など日本もドレスコードについては西洋よりこまかかったかもしれませんね。
 
スーツを西洋のもと、着こなしを軽んずるのは和服もスーツと同じように合う相手、TPOをおもんじるというのは西洋も日本も違いはないのですから言い訳にはなりませんね。
 
私自身、スーツを着るようになって十年弱、ようやくスーツを着る意味合いが分かってきたように感じます。
 
スーツにも相手をもてなす意味合いもあります。
 
 
スーツとは西欧の貴族服のモーニングコート、フロックコートなどから派生したものです。
 
元を辿れば貴族が王様に対するときの服なのです。
 
 
だんだんとフロックコート(モーニングコートとも)の丈が短くなり今のスーツの原型、ラウンジスーツ(今のダークスーツに近いもの)というものが生まれ、当時からしたら形は変わっています。
 
 
ちなみにラウンジスーツというのは寝間着、パジャマ、スエットに近いもので貴族が女性との食事のあと燕尾服を脱ぎ、ラウンジ(女性と別室の待合室)でくつろぐために作られたものです。
 
 
当時の貴族は、現代の合コン終わりの男同士が「あの子とどうだ?」などと語り合うためにラウンジスーツを着ていたのです。
 
 
柔も剛も持ち合わせたのがスーツというものなんですね。
 
その出を辿ればカジュアルでもビジネスでも着用される意味が分かりますね。
 
「貴族が王様に対するときの服」ということを考えればスーツは相手に敬意を示す重要なツールとなります。
 
私は服飾評論家の人間がよくいう「あの政治家はスーツはだらしないから政治家、失格だ!」「あの人は着こなしを知っている。グローバルの感覚を持った素晴らしい政治家だ!」というようなとは申しません。
 
スーツでその人の人なり、仕事の力量が測れるものではありません。
 
身なりで人を決めつけるのは愚かなことと思います。
 
しかし、ドレスコードを弁えた出で立ちは少なくとも敬意を相手に示すことはできます。
 
戦争などで顔を損傷された顔を整形するお医者さんの話で顔を奇麗に整形すると人格が自信を持ったように変化するということ聞きました。
 
コロンビア大学のマックスウェル・マルツ博士のお話です。
 
人はセルフイメージを必ず持っているものです。人はそのセルイメージに近づいた結果を出すといわれています。
 
「俺はこれぐらいの仕事をこなす。」とおもえばその良くも悪くもその仕事量に近づくというのです。
 
脳科学の世界では「自動成功システム」といい人は自分の持っているイメージに近い成果を出す機能があるといわれています。(脳科学は発展途上の世界なので一概にこれが正しいとは言い切れませんが。)
 
 
セルフイメージを高めることは非常に仕事にもプラスなのです。
 
「人は見た目は9割」などその手の本が一時ブームでしたね。
 
 
数年前に書籍などでよく、「見た目のいい人は生涯年収がそうでない人より総じて多い」といわれていたのは統計で示されています。
 
私は単純に「見た目がいい人」とは顔、スタイルを指すのでは全体のその人の出で立ちだとおもいます。
 
靴の修理屋さんが全員スーツで接客をするようになったら繁盛店になった。
 
小奇麗な出で立ちから相手に対する敬意、「おもてなしの心」がお客様を引き付けたいい例だと思います。
 
弱小サッカー選手団に高級スーツを着せたら急速に成績が良くなった。
 
相応の格好をすることでセルフイメージを向上し自信が結果につながったいい例だと思います。

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