セルフイメージ
一度は目にしたことがあるだろう。
1945年8月30日、マッカーサーが専用機DC-54から、厚木飛行場に降り立つシーンは印象的だ。
GHQの司令官として、第一生命会館の執務室から、足かけ7年、日本の占領政策を主導することとなる。
GHQの占領政策、東京裁判には様々な賛否はあるが、このときのマッカーサーの演出は、歴史的に成功したといえる。
神奈川県に在所する厚木基地とは海軍の夜間戦闘機部隊の拠点として機能した。位置的にB29の東京への侵入経路となり、本土防空戦の要となった。基地司令官はポツダム宣言受諾後の8月15日以降も抗戦意志を貫いたが高熱によって倒れ、8月22日に基地の抗戦活動は鎮圧された。
8月30日の時点では、緊迫した情勢の中で抗戦派によっての狙撃の危険性があった。
ここでは詳細は割愛するが、新たな統治者として、弱みを見せれば、後の占領政策に影響があると考え、あえて危険を冒し東京の玄関口の厚木に降り立った。
マッカーサーの服装にも不退転の決意が見て取る。威光を示すがために用いられたのが、コーンパイプだ。
本来、アメリカへの入植者が高価なブライヤー製のパイプの代わりに作られたコーンパイプは、トウモロコシの芯を乾燥させ、使い捨てで安価なものだ。
一部には独特のコーンの香りを好み愛用する方もいるようだが、、マッカーサーのような高い地位の人物が使うものではない。
マッカーサーは服装には比較無頓着だったといわれている。しかしコーンパイプにはこだわった。それは背が高く、非常に印象的である。
これはマッカーサーが陸軍での階級の昇進に合わせ、だんだんと背が高い物を愛用するようになったといわれている。彼はコーンパイプを威光を示すための道具として利用していた。
現在、このような形のコーンパイプはマッカーサータイプと呼ばれている。室内など私的な場ではブライヤ-製のものを愛用したといわれている。
ちなみに有名な正装の昭和天皇とラフなマッカーサーが並んだ写真は威光を示すものではなく単純に彼が服装に無頓着であり、あのような写真となったらしい。マッカーサーは会談後から自身の生命より国民の生活を心配した天皇に対しては非常に敬意を持っていた。
服装は一般に着る人物に似合うということから選択される。
着る人物の演出がしたいセルフイメージから、選択するのもまた違ったファッションの活用法だ。
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