名古屋店
軍服を源流とするスーツ
軍服を源流とするスーツは着る人物に威厳をもたせる意味合いがある。
弱そうな兵隊では外国に侮られる。またいかにも弱そうな指揮官では下の将兵がついてこない。
大胸筋が発達しているように見せると力強さが出る。だから仕立屋は襟をカーブさせ裁断し胸を少しでも高く見せようとする。
ウェストの絞りは相対的に胸の高さを出す。ジャケットは胸をいかに高く見せるかにある。
ダーツの取り方にも試行錯誤する。英米人より華奢な体格のナポリ人は前身までダーツを落とすという手法を編み出した。
テーラードジャケットは胸をいか高く見せるかにある。
パンツのクリースは整列した兵士の脚を美しく見せる。タキシードのパンツの側章もそうした意味合いのものだ。美しく整列した兵士は、規律ある軍隊とみなされ、手ごわい相手と外国にみなされる。
だから、昔の将校は自前の仕立屋で大枚をはたいて軍服を仕立てた。
昔から男女問わず人間は強い男に憧れを抱く。すすんで従おうとする。男というのはそうした装いをしなくてはならない。
「Corvoと私」を始めた理由
「Corvoと私」というタイトルは皆さんから「ちょっと笑ってしまうタイトルだね」いわれる。
「Corvo」では「Corvo」を支える、ステイクホルダーに焦点を当てたいとの思いから始まった。
我々の、商売は売り手、買い手、そして仕入れ先で成り立つ。
商売とはもっともらしいことを言ってもこの三者がいなくては成り立たない。企業は社会に存在する限り多くの人々、法人とのかかわりは生まれる。
今の私共の規模ではこういうのは何だが、大きく言えば企業は多くのステイクホルダーで成り立っている。
「ブランド」というものは売り手が「何を売りたいか」から始まる。どうしても売り手に焦点が当たる。
それでは在り来たりでつまらない。
ステイくホルダーに焦点を当てようと、そんな、思いからはじめた。
個性の必要性
紺かグレーの上質な生地に丁寧な仕立のスーツに白のドレスシャツ、黒のストレートチップの組み合わせはかっこいい。しかし、普段使いには、まさに雑誌を参考にしたか、店員に勧められたような格好では面白みがない。
多くの成功したブランドには「自己同一性」、すなわち他者との違いが明確にある。
今では当たり前のベージュ、淡いブルーなどのスーツが一般に普及したのはブリオーニが1940年代に発表してからだ。それらの色を取り入れるだけで当時は革新的だった。
現在、最も成功しているスーツブランドと言えば「トムフォード」だ。男性性を前面に押し出したスーツは強い灰汁を持っている。
例を出せば、ルブタンの靴はピンヒールに赤い靴裏という一目で識別できる視覚的違いがある。ルイヴィトンのダミエ、モノグラム。
人間も同じだと感じる。歴史上、評価される人物というのはみな性格の面、ファッションの面でも個性的だ。
アップル社の元CEOの故ジョブズ氏は非常に個性的なことで有名だ。そのことが仇になりアップル社を追われた過去を持つ。
ジョブズ氏の周知のタートルネックにジンズ、靴はニューバランスという出で立ちは、多くのシリコンバレーの起業家にも真似されている。
ジョブズ氏がソニーの工場に訪れた際、盛田昭夫氏に同じ作業着を着た工員について尋ね「労働者とソニーの絆」と言われ、感銘を受け制服として作ったものだ。だがアップル社の従業員にブーイングを受け自身で着ることになったという逸話がある。
ちなみに氏は銀行などの交渉時はブリオーニのとびきり上等なスーツを着用したといわれる。
すなわちアップル社の顔役として、意図的にセルフイメージを構築した。
以前もマッカーサーのコーンパイプを介してセルフイメージについてブログで紹介した。
(リンク先http://www.sartoriacorvo.com/blog/2016/09/post-380.php)
(個性を押し出したスタイル)
白いシャツ
英国紳士はガーデニングする際にも身なりを気にするのだとか。
貴族文化が根付いた西欧諸国では装う行為、生活様式の一部ととらえられている。
シャツの中でも、白いシャツというのは別格だ。
白いシャツの現在の評価は、女性を筆頭に装いのセンスとしては芳しくない。柄シャツ、色物シャツなどの方が評価が高い。
柄物シャツがスーツに合わせられるようになったのは1920年代からと言われている。エドワード8世がスーツに合わせるようになって普及したといわれている。
本来、白のシャツというのは高い地位の象徴そのものなのだ。
どうしても綿は繊維が毛羽立ち皮脂、垢、汗、ゴミが沈着、付着し汚れが目立ってくる。
数年前、流行った白パンツもクリーニングしても黒ずんだというお悩みの方も多いだろう。それは綿特有の毛羽立ちが原因だ。消耗品と割り切るしかない。
白を白で保つということは、枚数、クリーニングなどのコスト、手間がかかる。
だから昔から白い衣装というのは、そうしたコスト、手間をかけれることを、それが可能な高級貴族の証だったのだ。
綺麗に手入れされた白いシャツはその人の高い地位を暗喩したものといえる。白いシャツというものの見方が変わるだろう。
2016年を終えて
2016年はCorvoにとって「ブランド」としての一歩を踏み出した、新たな年だと思っている。
「オリジナルバンチ」、「セラピアン」の導入、あとは名古屋店の出店、いろいろな出来事があった。
中でもブランドの顔となる「莞爾」「奉文」の投入が意義が一番大きい。
試行錯誤の連続なかで、2016年はようやく、進むべき道がようやくまとまった。
巷で多くのブランド論がささやかれる中で、ブランドを構成する共通する要素は「自己同一性」だ。
2017年はCorvoが定めた視覚的、観念的にも他との違いを明確に打ち出す。また新モデルを近々、発表する。
私は読書が好きだ。私個人として一番の知識的収穫は2016年は組織のリーダー(指導者)として必要な素質を猪瀬直樹さん著「昭和16年夏の敗戦」から教わった合理的決断の重要性だ。
この本は国会答弁でも度々引用され、石破茂さん、多くの指導者=政治家、経営者から教本のように扱われている。度々、メディアでも取り上げられていたが読む機会がなく、遅れながら読んでみた。
日米開戦前に組織された総力戦研究所。ここでは各省庁のエリートを集め軍事力、外交力、経済力、海上輸送能力の面から日米戦争を継続できないという合理的結論を下した。現実の戦争は、結論に真珠湾攻撃と原爆投下以外は驚くほど近似したものとなった。
本書では結論ありきの組織の意思決定を日本の当時の首脳部の失敗から警告している。
余談だが現在の採用面接は、この総力戦研究所の研究員選抜時に松田千秋海軍少将が行ったのが発祥だ。
上級職に就く方には、時間を割いてでも一読の価値はあると思う。
2017年はより一層、私自身の経営者としての能力を、Corvoを魅力あるブランドとして発展させるために精進する。
クロコの革靴
最近は爬虫類の革靴に凝っている。以前からクロコダイルの靴を取り入れたいと思っていた。
ちなみにCorvoでも革靴のオーダーを企画中だ。
女性物は別とし男性がクロコダイルの鞄、小物を持っているとあちらの方に思われてしまう。
クロコダイルは独特の強い光沢、腑と呼ばれる模様で豪華さを演出する。なんとなく示威的な印象で敬遠されがちだ。爬虫類系の革製品は下手をすると、主張の強く、コーディネートのバランスを崩し下品に見えてしまう。
正直に言うと、この業界に入って間もないころは爬虫類系の革製品の良さがわからなかった。
だが、あるとき、お客様で自然に履きこなした方がいて、その魅力に目覚めた。
使いこなす、良さをわかるまでに時間を必要とする、そんなところも魅力の一つだ。